ちろろぐ。

精神疾患からジャニーズまで。。。。

私がジャニヲタになったきっかけ。

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

当時は、ジャニヲタと言えるかどうかわからないけど、1番最初は、

マッチだった。

私は、まだ保育園でたぶん、それが、初恋みたいなものだったと思う。

保育園から小5でC-C-Bに出会うまでマッチがずっと好きで

友達のおねえちゃんに連れていってもらって

3人でマッチのコンサートにも行った。

実は、その時、小4ぐらいだったから、記憶が曖昧だったために

よく覚えてないけど、どうやら、入り待ちというのをしていたっぽい。。。笑

会場に入っていく、マッチや少年隊を間近に見てしまったのだ。

子供だったし、何も聞かされてなかったから

もちろん、手紙を渡すなんてこともしなくて、ただ、呆然とキラキラ光ってる

ジャニーズのアイドル!芸能人!を見たことから、私のヲタク人生、

追っかけ人生が始まっていたのだと思う。。。。

 

C-C-Bとの出会い!!

それから、C-C-Bが出てきて小5でC-C-Bのファンになって

ジャニーズからは、私は、離れた感じを見せているような感じだったけど、

周りの友達は、少年隊に夢中だったので

デビュー前の少年隊で公式に発売してたビデオがあって

それを友達の家でずっと見ていた。

それには、フォーリブスの若者たちなどをカバーして歌ってる

少年隊の姿があった。

私の本格的なジャニヲタデビューは、中1の時にTVに出だしていた

光GENJIの前身のGENJIまでは、C-C-Bにずっとハマってて

ライブに子どもたちだけで行ったりしていた。

C-C-Bでは、特に今は、亡き渡辺英樹さんが1番好きだった。

彼のビジュアルも好きだったのだけど、

何よりもハスキーでセクシーな声がすっごく好きで

そして、すっごい高い位置で弾くベースもかっこいい

と思ってたし、とにかく大好きだった。

GENJIとの出会いが運命を変えたのだった

 

しかし、中1になってGENJIが太平サブロー・シロー司会の番組の

オープニングを歌っていて、それを見て

あっくんのことが大好きになった。

まだ、その時、そのメンバーに晃くんはいなくて4人だった。

それを毎週日曜日だったか、土曜日だったかに見るのが楽しみだった。

それで、中2になって、まだその時は、誰もGENJIとか

光GENJIという名前を口にする人もいなかった。。。。

だから、1人でキャッキャ言ってる状態だった。

しかし、中2の夏休みに光GENJIはSTARLIGHTでデビューした。

もちろん、カセットを買った。

この時は、まだCDがなくて、カセットかレコードで

うちには、カセットプレーヤーしかなかったのでカセットを3本ぐらい買ったっけ。

まだ、その頃は部屋が弟と一緒だったので2人で毎日、

STARLIGHTを聞いていて、弟もファンになっていた。

 

そして夏休みが明けた時に事件は起きた!!!!

 

 

な、なんと、学校の女子全員近くの女の子が光GENJIのファンになっていて

どこにいても、「かぁくんがー。」という声が聞こえていた。

あの時の衝撃は、今でも忘れない。。。。

そして、冬ぐらいだったのかな?

光GENJIの武道館ライブがあって、

生まれて始めて同級生4人だけで東京に行った。

その時にまたもや、事件が起きた。

私の人生が、変わったきっかけだった大きな事件だった。

当時、光GENJIのファンの間で応援グループというものが

でき始めていてすごく流行っていた。

もともと、知らない人に話しかけられやすい私は、

高校生の集団に話しかけられた。

そこで、某応援グループに勧誘された。

彼女たちは、静岡から来てるということもあったし、

昔、マッチのコンサートで見た、親衛隊に憧れがあったので

即、入会の返事をOKした。

そして、光GENJIのコンサートは、私の中で最高の形で

胸に残った

そこで家に戻った自分は、静岡のお姉さんたちと

電話で連絡をとってるうちに自分が応援グループを作ればいいんだ!!!!

という結論に落ち着いてしまった。

ここが、私の本格的なジャニヲタの始まりだったのかもしれない。

この頃から、少しだけ、追っかけもはじめていた。笑

 

本物のジャニヲタデビューとなった私。。。。

 

そして、私の応援グループのメンバー集めが始まった。

当時は、雑誌などに文通募集や、応援グループメンバー募集などが

載っていて、それに片っ端からハガキや手紙を出して

メンバー募集をした。

郵便局でアルバイトしながら、切手代や追っかけの費用に当てた。

そうやってるうちにどんどんメンバーも集まり、

支部のR(リーダー)をやりたいというメンバーも出てきて

支部も全国に出てきていた。。。

私はというと、表側では、事務所側は、応援グループを禁止としていたが、

裏では、グループのRとSR(サブリーダー)の住所や連絡先を記入させ、

顔写真まで登録を一部のグループにさせていた。

私のグループも登録をし、月に何度か、R集会でファミリークラブで

集会が行われていた。

ジャニヲタには、実は上下関係があって

グループにも上のグループがあったりして、

自分たちのグループのペンライトの色とかも、上のグループと

相談して決めていた。

私のグループは青と黄色になった。

 

そして、当時は、北海道と大阪にもファミリークラブのスタッフが存在した。

たまたま、私のとこのグループは、大阪の支部Rが頑張るタイプだったので

大阪のファミリーのひろみさんと仲良くなっていて

いろいろ、便宜を図ってもらったりもしていた。

大阪でもR集会があって支部Rの子が出席していた。

私の顔も名前もそこそこ有名になっていったとこで

私は、受験生(中3)になっていた。

受験で追っかけにあんまり行けなくなっていた頃、

落とし込みというやつにあってしまったのだ。

落とし込みとは、ジャニヲタの中で今でも存在するのだが、

ファンが、ファンの悪口をあることないことファミリーに

告げ口してファンをやめなければならなくなってしまうことだ。

私は、中3という最年少で大きなグループを抱えていたのと、

あっくんのファンだったにもかかわらず、

萱島くんと仲良くしていたことがあっくんや

萱島くんのファンの怒りを買って、落し込みをされてしまったのだ。。。。

そして、ファミリーに呼び出され、ファンをやめるように

言われてしまったのだ。。。。

終わった。。。。と思った。

そうして、少しづつ、光GENJIから離れていってたのだが、

毎日のようにいろんなグループから電話がかかってきて

Rをやってほしいという勧誘がすごくて、親もさすがに

ブチ切れた。(電話の数に。。。)

 

 

表側では、ファンをやめていたけど、裏では?

 

そして、周りからの電話が落ち着いてた頃、

私は、あっくんの友達と友達になっていた。

名古屋のかぁくんのファンと一緒に

あっくんの友達と遊んだりしていた。

だけど、ちょっと、恋愛関係が名古屋の子ができちゃって

いろいろ、複雑になってそこから、離れることにした。。。。

そして、男友達からの誘いで中山美穂親衛隊に所属していた。

(ここは、また、別で面白い世界なので違うときに詳しく書きます)

 

 

 

それから、高校生になって某バンドのファンになり、ジャニから離れる。

 

 

高校生になってからバンドブームだったこともあり、

私もバンドをやったりしていた。

そこでまた、追っかけ人生に入って、

高校卒業して東京に出た。

そこから、22歳まで(バンドが解散するまで)ライブ&追っかけの日々だった。

 

 

第3の人生を迎えたジャニヲタ人生!!

 

23歳で実家に戻り、ジャニーズJr.全盛期だったため、

もともとのジャニヲタ魂に火がついて相葉担になった。

そして、また追っかけ人生だ。笑

相葉ちゃんがバックについてる先輩のコンサートなどに

行ったりしてた。

この時は、そんなに力を入れて活動を私はしてなくて

MJ(Jr.の音楽番組で今の少年倶楽部)の入りと出と

日レス(日曜日のレッスン)だけしか動いてなかった。

そんなわけで相葉ちゃんのトップ集とかには覚えられてたけど、

相葉ちゃんに覚えてもらう前に嵐のデビューが決まり、

嵐の握手会に参加し、バレーボールのサポートを

嵐がしていたのでその時は、地方でも試合をして

最初と最後が代々木体育館だったので地方へのお見送りして

それから、年末になって相葉ちゃんがホノルルマラソンに出るので

空港にお見送りに行って「よいお年を~。」ってお互い挨拶して

結局、相葉ちゃんとは、それっきりになった。

私がまだ事務所に入って1年ぐらいでKAT-TUN結成前の

田口淳之介13歳に降りたのです。(ファンを変えることを降りるという)

ここから、追っかけで動くメンバーも変わって、

今までは、週2ぐらいでしか動いてなかったんだけど、

田口担になって、週3~5ぐらいで動くようになった。

田口くんは、すぐ覚えてくれて、とにかく優しかった。

たぶん、ここが本物のジャニヲタ復帰となった時かもしれない。

そう、光GENJIをヲタやってた時のように。。。。

少年倶楽部の入りと出はもちろん、土曜日、日曜日も毎回。。。

それ以外にコンサートのリハや、雑誌取材、

あとは、できるだけ、田口くんがバックにつく先輩のコンサートにも

行ったし、お見送りやお出迎えもした。(新幹線や空港へ)

田口くんとは本音で話をしてたのでケンカすることも

あったけど、基本的に仲は良かった。

なんか、よくわからないけど、田口くんのファンにも

人気が出てしまって、みんなにからかわれたりして

マジでたのしかった。

田口くんの誕生日にプレゼントした服を少クラの

インタビューの時に着ててくれたこととかあって

めっちゃ、うれしかった。

田口くんから、誕生日にバースデーカードが届いたりもした。

年賀状もくれたし、とにかく、手紙の返信は、たくさんもらった。

 

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田口くんのファンになったのは、すごくいつも笑顔で

オヤジギャグにそして、優しくて、紳士的だった。

年下なのに、全然年齢差を感じさせないだけの

男らしさと可愛さの両方を兼ね備えていて

田口くんの周りにいるとファンもみんななかよくて

とにかく楽しかった。

そして、ファンサはほぼ必ずと言っていいほどくれた。

しかも、何度も。。。。

そんな田口くんが大好きだった。

楽しかった。

 

今は、田口くんは、事務所をやめて、しまったけど、

今でも好きだし、応援しています。

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