ちろろぐ。

精神疾患からジャニーズまで。。。。

精神疾患により、友達が出来ない。。。寂しいと悩んでる方へ。

こんにちわ。

 

チロルです。

 

さてさて、よく聞かれるのが精神疾患を持ってる方が

友達がいないとかできないとお悩みかと思います。

私は、しっかりと友達がいます。

親友もいます。

なので、できないと諦めてしまうのは早いかなと

私は思います。

というわけで、私が友達がいる理由というとおかしいですが、

こんな感じの付き合いをしてますよ。

ということをお話したいと思います。

 

うつ病になるまでのこと

 

まず、私が、うつ病を患ったのが、23歳の時で、

その当時は、ぶっちゃけると呑んだくれた生活を送って

いました。笑

仕事はCDショップで働いていてアルバイトで

入ったのですが、音楽に詳しかったこともあり、

アルバイトながらに本社の会議にも呼ばれていました。

それとは、裏腹に仕事が終わった後は、

高校時代の友達がBarに勤務してたことで、

毎日そこに通っては、朝近くまで飲んで、

仕事に行くという、生活でした。

まぁ、その中で職場に新しく転勤してきた男性社員の人がいて

負けず嫌いな私は、仕事で悩むことになります。

それは、私は、アルバイトなので、CDや雑誌など

自腹をきって音楽について勉強をしていました。

なので、バイト代は、ほぼ、音楽の勉強代につぎ込まれてました。

しかし、かたや、その社員さんは、音楽が好きというよりも

裏でずーーーっと裏方作業をしていて

それで、私よりもお給料が良くてボーナスも入ってくるというのが

段々イライラに変わっていきました。

そのうち、ストーカー問題なども起きていたので

私は、仕事に行くと過呼吸起こして倒れるという状況に

なってしまいました。

そして、家に帰ると治まるのです。

ただ、家にいて、治まらなかったのが、食べ物を体が受けつけなく

なっていて物が食べれなくなっていました。

そして、仕事を辞めて自宅療養に入ったのですが、

どんどんひどくなっていっての自傷行為です。

そして、そのまま知らない間に入院していました。

 

 

人が信じられなくなる

 

そして、入院して気がついたのは、2〜3日してからのことでした。

その時から、全く人が信じられなくなっていて、

人と関わるのがイヤで仕方なかったです。

それから、1年ほど入院して退院した時に1番最初に行った行為は、

携帯全消しです。

友達から電話がかかってきても全く出なくなり、

一切、交際を断ちました。

それは、今でも良かったと思っています。

なぜなら、その当時メインで付き合いがあったのが

高校の時の友人だったのですが、

今、噂で聞くと今は、みんな、誰も連絡をとってなくて

しかも、当時の付き合いを後悔してる人が多かったことです。

私は、この全消し行為により、本当の友達探しの旅に入ったのです。

 

それから、新しい職についたのですが、

やはり、本音で話のできない人間になっていました。

周りの人はいい人ばかりなのは、わかっていたのですが、

その時は、自分がうつ病だということや、通院してることなど

話すこともできずに心開けないまま上辺の付き合いをしていました。

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そして運命の親友との出会い

 

そして、25歳になって千葉に住んでる中学からの文通友達に

誘われて、東京に行って一緒に遊びました。

その時にひっそりと隠れていた、ジャニーズ魂に火がつき、

ジャニーズJr.のおっかけを始めたのです。

それから、いろんなチームを渡り歩いて、

結局、収まったのが、今の親友まぁたんのいるチームだったのです。

あ。ちなみに追っかけは、だいたいチームで動きます。

26歳になってまぁたんと出会い、まぁたんとの出会いによって

私は、本音で話せるようになったのです。

そうです。今の私の完成です。

まぁたんは、私がうつ病だということや、入院経験や、

通院してることもすべて受け入れてくれました。

そんなまぁたんとの付き合いにより、私は、追っかけという

体力的にもきついことをしてるにもかかわらず、

毎日、まぁたんと笑って過ごすことによって

薬もほとんど飲まなくても大丈夫なとこまで復活しました。

 

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29歳での転職によって失われたもの

 

そして、私は、30歳を前に追っかけを卒業しました。

そして、まぁたんは、元々、山梨出身の人だったこともあり、

意気投合してた部分もあると思います。

そのまぁたんとしばらく離れてましたが、

なんか、まぁたんが、我慢できなくなり、山梨の実家に

戻ってきたので、まぁたんといつでも会える環境ができました。

しかし、私が、ローソンの山梨本部のお店で働くようになって

私は、どんどん、またうつの方向へと進んでいきました。

まぁ、山梨の本部だったお店だけにとにかく厳しくて、

私は、薬の量が増えていって手が震えたりするようになっていました。

そのことを影で「アル中」と呼ばれたりしてたようです。

そして、薬の量により、動きも自分では気づかないのですが、

遅くなり、それを、毎日のように怒られ、

うつうつとして仕事に行けない日が月に1〜2回ありました。

まだ、それでも我慢してた方で、

最終的にその時の店長だった人に

「私は、仕事を2度と休みません」という念書を書かされました。

しかし、うつを再発してた私には、もう、何がなんだかわかって

いませんでした。

で、結局、それでも10年もバカだから、働いてました。

しかし、求人誌をぶつけられ、

「これだけ、全部面接をうけたらどこかひとつぐらい受かるだろう」と

言われた時には、

体重も20キロ落ちていて、食べ物を受け付けなくなって、

仕事に行けなくなりました。

それで、辞めますってなったわけです。

ここで思ったのは、電通の亡くなったまつりさんのことです。

今、思えば、頭がうつ病で悪化してしまうと

何も判断ができなくなってしまうことです。

やめることさえ、頭にないのです。

しかも、この当時、家の会社が倒産し、

父親の自殺未遂が何度も繰り返されてた時期でした。

もう、家族もバラバラだし、私の心もボロボロで

半年ひきこもりました。

その間にネットも解約になり、携帯も解約になり、

誰とも連絡が取れなくなってました。

 

そして、3回目の入院になりました。

 

 

家族の代わりにいろいろ動いてくれたのがまぁたんでした。

 

その時は、家族と最悪の状態で不仲だったので

(詳しくは、別記事にある、生みの親に会いたいかどうかのとこ参照)

着替えの買い物も外への外出もすべてまぁたんが引き受けてくれました。

まぁたんは、実は、山梨でも南アルプス市というとこに住んでいて、

私が、甲府に住んでたのですが、

また、病院というのが、山梨市という

まぁたんの家から車で1時間近くかかる場所なんです。

それでも、まぁたんはイヤな顔もせず、私のお願いする買い物を

してきてくれたりと普通なら家族がしなければならないことを

すべてやってくれました。

そして、実家に行っていろいろ話し合いをしなければ

ならない時も一緒にきてくれて

泣き叫ぶ私をなだめてくれたりと

まぁたんがいなかったら、今、私は、一人暮らしをして

こうやって暮らすことができていないと思います。

 

 

そして、Facebookでの再会!!

 

この再会というのは、私が東京に住んでた頃に

いつもつるんでいた大事な仲間達です。

その仲間4人とFacebookを通して、再会し、

今でも、病気になる前と変わらぬ付き合いをしてくれています。

 

なので、思うのですが、

無理やり友達って作るものだとは、私は思ってなくて、

偶然とか運命的なものかなぁと。。。。

それに量より、質だと思っています。

何かしらのきっかけで自分のことを本当に理解してくれる友達なんて

一生に1人出来るかできないかぐらいに思ってていいと思います。

 

 

まとめ

 

長くなりましたが、ちょっと話を聞いて欲しいな

なんて思ってる方は、ぜひぜひ、

私のTwitterの方へ、どうぞ。

気軽に声かけてくださいね。

 

 

私は、とても恵まれた人間だと思っています。