ちろろぐ。

ジャニーズ全般について。時々、うつ。

チロルの詳しいプロフィール。

詳しいプロフィールを書きたいと思います。

 

 

 

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(↑めっちゃ、隠キャ。笑

 

 

名前:チロル

生年月日:1973年10月6日(現在44歳)

血液型:O型

出身地:山梨県

現住所:山梨県

 

 

幼少期は、とても大人しくて、一人で遊んだり、教室で絵を描いてるような

子供でした。

ちなみに兄弟は、8コ上に兄。1コ下に弟。(ちなみに家庭環境複雑)

そんなわけで、兄とは一緒に暮らしたことがなく、兄だと知ったのも

ここ20年ぐらい前の話。でも、血の繋がりはなし。

書き出すとキリがないぐらい、もっと複雑な家庭環境。。。。

 

小学校、中学校と成績は良く、学年でも1、2位を争うぐらい。

しかし、特に家で勉強をしてたわけでもなく、学校の授業とかを

普通に聞いてる程度。

習ったことのない数学の問題を解くこともあったり、

知能テストでも県内1位を取ったりしていたとか。。。笑

 

だけど、子供の頃から変わり者で気分のノル時とノラない時の差が激しい子供だった。

ちなみにエンジンのかかるのが遅い子供で夏休みの宿題とかは

出したり、出さなかったり、ラジバンダリ。。。。

 

冷めた子供だったのかもしれない。

今でもすごく熱い部分と冷めてる部分があって差が激しい。

 

一人で空想しながら、哲学的なことを考えるのが好きだった。

とにかく変わった子と言われることが多かった。

 

初めて好きになったタレントさんは、近藤真彦さん。小学校2年とかぐらいから。

この頃から、ジャニーズ好きだったようだ。

初めて見たコンサートも近藤真彦さん。小学校4年の時。

この時にバックに少年隊も付いてたのだが、友人のお姉さんに連れて行ってもらって

いたので、入り待ちでヒガシと握手してもらったのを今でも覚えている。

この頃、自分の追っかけ体質が目覚めたのかもしれない。。。

おまけにこの頃すでに文章を書くことが好きだったようで

マッチを主役に脚本っぽいものを書いたりしていた。

 

 

そして、小学校6年の時にC-C-Bを好きになる。

ちなみに周りは、少年隊を好きな子が多かったかも。。。。

この時もC-C-Bのコンサートに何度か行っている。

そして、ドラムに目覚めたのもこの頃。

C-C-Bでは、渡辺英樹さんが好きだったんだけど、

その後からは、ドラマーヲタクになり、好きになるのは、

大概がドラマーだった。

ちなみに今でも、C-C-Bのカセット&CDはよく聴く。

 

 

中2になって光GENJIが好きになる。

GENJIの佐藤敦啓くんが好きだった。(現 佐藤アツヒロ

で、光GENJIのデビューが夏休みだったために

夏休みが明けるとほとんどの女子が光GENJIファンになっててびっくりした記憶が。

同級生だけで東京へ行ったのも光GENJIの武道館でのコンサートで。

 

 

初めての彼氏ができたのも中2の時。

ちなみに今の彼氏がこの時の彼氏という。。。。笑

不思議な感じです。

 

高校に入ってバンドブームに乗っかり、ギターを買うが、

結局、なぜかドラマーに。それから、現在までドラマー。笑

KUSUKUSUというバンドを好きになってそこから

私の追っかけ人生が始まる。

高校は進学校だったが、あんまり行かなくなり、

バイトしては、東京や地方までライブ三昧の日々。

その時の仲間とは、今でも仲良し♡

 

 

ちなみに高校は大嫌いだった。

いかにも定型さんばっかりがいてみんな同じように見えた。

その中で唯一仲良かったのが、男子では、伊藤氏。女子では、依田氏。

この2人とは、やっぱり今でも仲良し。

 

高校を無事卒業して東京の服飾専門学校に進学。

高校時代からの追っかけ仲間もいたので、友達もたくさんいて

追っかけに力も入る。笑

しかし、追っかけをしていてもあまり前に出るタイプではなかったので

いまだに本命のドラムの宮田誠くんには、名前と顔が一致されていない。笑

打ち上げで何度も、一緒にお酒を飲んでるにも関わらず。。。。笑

 

で、元々は、レコーディングエンジニアになりたかったので

ライブに行きまくってる間に段々とその夢に近づきたいと考えるようになり、

PAのアシスタントのバイトや、ニッポン放送などでバイトを始める。

しかし、20歳の時に実家に呼び戻される。

祖父が痴呆になり、介護が必要になったため。

 

で、実家に戻り、CDショップの新星堂で働きながら介護をするようになる。

新星堂では、いろいろなライブや音楽を聴いてきたことが役に立ち、

アルバイトながら、担当をいくつも任され、

FM FUJIの番組で10分ほどの枠を持たせてもらえるようになる。

東京の本社の会議にも呼ばれるようになり、順風満帆に見えたが

23歳の時にうつ病を発症し、仕事をやめる。

 

自宅療養をしていたが、ある日に自傷行為をし、そのまま気を失い、

気がつくと精神科の閉鎖病棟に入院していた。

それから、1年ほど入院し、退院。

 

自宅療養をしてる間にジャニーズJr.に駄々ハマりする。

当時は、ちょうど、タッキーを中心にJr.が盛り上がっていた。

相葉ちゃんのことが好きになり、

転職してから、山梨で働きながら週に何度か東京へ行き、相葉ちゃんの追っかけを

始める。

嵐のデビューを見届けてから、14歳の田口淳之介少年と出会い、

田口担で今までよりも東京に行く回数も増え、田口くんの追っかけ活動が

始まる。

この時に今の親友のMと出会う。当時、26歳だった。親友は、27歳。

2年ほど、田口担で追っかけをし、割と名前も知れた有名人に。笑

 

その後、関西Jr.の福原一哉くんに担当変えする。(いわゆる降りるってやつ)

 とにかく東京の福原担は仲が悪くてこの頃、ネットでも私のことが

悪く書かれ、「田口降り」だの、「モアイ」だの2ちゃんねるで話題にされ、

一時期、精神的に病み、短期間だが、精神科に入院。

それから、退院して東京の福原担の仲の悪さを解決させる。

 

ちなみに道化役を演じるようになったのは、田口担の頃に身につけた。笑

それで、笑いをとって空気をなごますことを常に考えていたのは、

今にも生かされている。

 

そして、福原くんが事務所をやめたため、追っかけを卒業する。

29歳だった。

 

そして、精神科にまた入院する。

 

そして、関西Jr.の大倉忠義くんを応援するようになる。

当時は、まだ関ジャニ∞が結成されてなかったために関西での活動のために

山梨と大阪を行ったり来たりしていた。

その後、関ジャニ∞が結成され、そのまま関ジャニ∞のファンに。。。。

そして、2004年から大倉くんを応援するブログを書き始める。

 

この頃から、ブログを書くことで自分の精神を保っていたような気がする。

2005年にJUGEMで本格的に大倉くんを応援するブログを始める。

同時に自分でテンプレがいじれるようになったり、画像加工も

この時からやるようになった。

そのブログは、今でも続けている。

 

4回目の入院の時に(2014年頃)出会った看護師さんのおかげで

現在の私があると思っています。

この時に自分の中で一皮剥けて、ブログでうつ病を抱えていること。

精神障害者手帳を取得したことを告白した。

それから、人に普通に病気のことを話せるようになった。

 

この時から、ブログで生活していきたいと考えるようになっていた。

しかし、具体的にどうやってブログで生活するのかは

わからなかったが、とにかくブログのことしか考えていなかった。

退院はいろいろあって2年近くかかった。

毒親だった親が、病院から退院させずに一生病院暮らしを

させたいと考えていたために退院が遅れた。

 

そして、退院してから、主治医の先生が開業をしたために

そっちのクリニックに通院することになる。

そして、この時に自分が発達障害持ちだということを知ることになる。

意外だったような、子供の頃からの違和感が理解出来たような気がした。

 

クリニックのデイケアに1年通い、就活をするまで安定する。

某メガネやにアルバイトで入るも、半年ほど働いた間、パワハラにあい、

コンビニで働いてた時のパワハラPTSDとなっていたために

メガネやでの就活も人に怯えながら働いてたような気がする。

結局、人格否定をされ、うつ病再発させ、外で働くことを諦めた。

 

この時すでにメガネやで働いたお金で一人暮らしをしていた。

主治医の先生からも毒親と離れて暮らした方がいいとずっと勧められていたので

家に引きこもるようになる。(この時に生活保護を受けていた。)

5度目の入院を主治医に勧められるも、自力で現在まで安定させる。

そして、少しづつ、ネットで文章を書く仕事を探し、

Webライターを始めた。

現在は、生活保護を抜け、Webライター&ブログでなんとかギリギリの生活を

している。

それでも、毒親からの自立ができたことが自分にとっては

すごく自信となっている。

 

 

2018年1月22日現在。

 

 

最後に。。。。

結局、反復性うつ病発達障害PTSD自律神経失調症パニック障害などを

抱えつつも、未来を見据えて生きることは大切だと思うし、

夢を持つことも疾患を持ってても全然ありだと思う。

 

私の現在の夢は、もっともっといろいろ勉強したい。

例えば、精神疾患発達障害にしてもだし。。。。

そして、少しでもたくさんの人の話を聞いたり、自分の経験を話すことで

同じように夢を持つということができる疾患者が増えること。

 

そして、いつか、本を出版したいと考えていますが、

そればかりにこだわらず、いろいろな活動をしていきたいと考えています。

とにかく、有名になりたい!!!

やるからには、上を目指したい。